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迷っていること

2018/ 04/ 14
                 
「余命いくばくもなかったら、それをやるけど、そうじゃない今はとりあえず様子を見る」という友人に「余命いくばくもなければ、やるんだったら、今やったらどうですか?」と言ってハッとしました。


今迷っていることがあります。私も余命いくばくもなければ、スパッとやると決めるでしょう、だってやりたいから。迷うのは、あと15~20年くらいは生きるかもしれないと思うから。それをやると毎月の出費が今とは格段に違ってくる、あまり稼ぎがよくないので、もしかしてマイナスになるかもしれない。そうなると少ない預金を食いつぶしていくことになる。預金を全部食いつぶした後、どうなるんだろ、独身だしなあ。


アップルの創業者、スティーブ・ジョブズの米スタンフォード大卒業式(2005年6月)でのスピーチの一部です

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。~途中 略~あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。


最近、havingについてよく考えます。藤田一照師(曹洞宗国際センター2代所長)の「ブッダの生涯を身読する」ワークショップの内容を参加した友人から教えてもらいました。その中でhavingとbeingについて言及されていたそうです。havingとは獲得したり所有するもの、お金だったり地位だったり評価だったり、beingとは「どうあるか」ということ。


たぶんhaving(所有)を積み上げて行った先に欲しいものって、幸せだったり安心だったりするのだろうけど、幸せや安心ってbeing(存在)の次元のものでhavingの次元のものではない。だからhavingをどれだけ積んでも、永続する幸せや安心には至らない。


一生かかっても使いきれないほどのお金を持っている人が、まだお金を求めたり、十分高い地位にある人がまだ上を目指すのって、お金や地位を積み上げて、獲得した一瞬は満足するけど、その満足は永続しないから。反対に世間一般からすると貧しそうに見えても、欲しいものもなく満ち足りている人もいる。


havingってどれだけあっても、それに頼っている限りは不安なものです。お金について言うと「私って何歳まで生きるんだろ、死ぬまでにいくらあれば足りるのかな、大病でもしたら?」「すごいインフレでお金の価値が半分や何分の1になったら?」そんなこと考え出したら、預金はたくさんないといけない、お金の価値が目減りした場合に備えて土地や貴金属も持っておくべき?海外にも口座が必要?などなど不安はいつになっても消えません。地位や役職だって会社や組織あってのことで、その会社や組織もある日突然なくなるかもしれない、やっぱり足場は不安定です。


ブッダの説かれたことに“無常 苦 無我”(三相)があります。諸行(すべてのこと・もの=having)は無常である。無常なるものは苦である。“苦”というのは、苦しみというより、どちらかというと“不満足”に近い意味だとよく本に書いてあります。(無我については私自身がまだピンときていないので、ここでは置いておきます)瞑想って、この三相を腑に落としていき、being(存在)のほうに目を向けていく作業なのでしょう、たぶん。。。


縄文時代の人がどんな生活をしていたのか知りませんが(縄文時代についての本を読みたいな)、財産を蓄えられない時代、食物は保存できたとしてもせいぜい数日、そんな時代の心持ちって、どんなふうだったんでしょう。今ある食物はあと3日しかもたないから不安だ、とみんな不安の中で暮らしていたのか、それとももっと違った心持ちだったのか。


ヒントとなるのは、先日聞いたアイヌの人の話(幻の魚といわれるイトウをアイヌの人と釣りに行ったところ、本当に釣れて「釣れた!」と驚いていたら、アイヌの人が「イトウを釣りに来たんだから、釣れるのは当然だ、何を驚くことがある」という態度だったこと)や、楽観的で死を恐れず、長持ちする物を作らず、物を蓄えない(ジャングルという恵まれた環境に住んでいることもありますが)アマゾンの少数民族ピダハンの話。


これを書いたのが昨日くらいかな。文章がまとまらないので放置していました。そして今日、作家の田口ランディさんがnote(ネットの有料コンテンツ)にアップされた文章を読んで驚きました。ランディさんは作家で著名人なのに、私と同じ不安を抱えていたのです。英語を勉強するために留学を決めたけど、その間、仕事をしないことで貧乏になったらどうしよう、という不安。(今はその不安は解消したようです)ランディさんほどの人でご家族もいるのに、そんな不安を持つなんて。私だけじゃない、みんな不安なんだ。でも、どこからか聞こえる「今これをやらなきゃ」みたいな内なる声に背中を押されて一歩踏み出す。踏み出した先に何があるのか・・・乞うご期待!(いや、迷っていることをやるかどうかまだ決めていませんが、どうもやりそうです)


思いつくままに書いたので読みにくい上に、これといった結論もなくすみません。いつも読んで下さって、ありがとうございます☆

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コメント

        

『無銭経済宣言』(マーク・ボイル著)
今読んでいる『無銭経済宣言』(マーク・ボイル著)にhavingとbeingのことだ!と思う内容があったので、引用しておきます。“カネのどこにそれほどの魅力があるのだろう。安楽な生活が約束されるからかもしれない。すてきな家に車。子どもを名門校に通わせ、しゃれた服を着る。休暇には旅行。そして週に一~二度の外食。これらの欲求自体は、まあ理解できる。だが、ブッダのことばを持ちだすまでもなく、これらは入手できるものにすぎない。たしかにカネは、身のまわりの物質的世界を変えるのに重要な役割を果たしうるが、自身がどうあるかを本当の意味で変えうるだろうか。そしてぼくらは、どうありたいのか。”