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それも物語

2018/ 04/ 10
                 
先日、ある講座でこんなお話を聞きました。「昔のアイヌの人たちは、母親が育児放棄した子どもがいたら、他人でも面倒を見ていた。優しいとか慈悲深いとかではなく、いま目の前に面倒を見る人がいない子どもがいるから見ている、という感覚。それは事情がどうとか、モラル的にどうとかではなく、目の前に起こっていることに、ただ応じているだけのように見える。ある母親は10人の子どもを産んだが、全員を育児放棄した。でも成長した子どもの1人がこう言っていたそうだ。“自分の母親はアバズレでよかった、じゃないと自分は生まれなかった”と」


ひゃーびっくりしました。私が自分の母親から育児放棄されていたら、いくら周りの人に助けられて無事成長できても、多少なりとも母親を恨んだことでしょう。そして 母親から育児放棄された(因)→母親を恨む(果) は、絶対の因果関係で、こういう境遇に生まれた人は誰もがそういう気持ちを抱くはずだ!と思っていたことでしょう。でも、そうではない人がいるという話を聞いて、そうか、これも因果関係じゃなく、私が作り上げるであろう物語だったかと気づきました。


自分が作る物語について関連→私のこしらえた物語   今幸せなら


私は父との関係があまり良くありません。昔、私の家は小さな食料品店をやっていたのですが、あまり働かなかった父のせいで、受験前でも母を手伝って店に立たなければならなかったことや、幼い頃、遊びにつれていってくれるという約束をよく破られたこと、小学生の頃、父への不満を書きつらね「でも、まじめに働くお父さんは好きです」としめくくった手紙を勇気を出して渡そうとして拒否されたことなどが、いまだにわだかまりとなっているのです。


でもこれだって、私が作り上げた物語なんだなと思いました。そういう父親でも、恨まない人やとっくにわだかまりをといている人もいるでしょう。ただ物語だと分かったからって、すぐにわだかまりが消えるものでもない。その物語を後生大事に持っている私には私なりの理由もあるのでしょう。(自分のことながら、その理由はまだよく分かりませんが)


今年は年初から父と大喧嘩をし、そろそろこの問題にケリをつけるべき時が来たような気がしています。ただ絶対の因果関係だと思っていたことに、本当はそうじゃなかった、これも物語だったと気づけたことは、これから起こるであろう父との関係の変化の1歩目になるのかもなと思いました。


いつも読んで下さって、ありがとうございます!

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